うつ病になると、自分のことを過小評価しがちになります。そのために、自信がどんどん持てなくなって落ち込んでしまう。

「こんな姿を見られたら、何て思われるだろう」

他人の目が気になって仕方ありません。ネットを見れば、「うつは甘え」「ただ怠けているだけ」などの書き込みが目立ちます。

「周囲の人間もきっとそう思っているに違いない」

そうして、さらに追い込まれる……。

こんな鬱屈とした状況から己を救うために。そして、世間という名の実体のない恐怖から、自分を守るために。
  • 世間とは何なのか?
  • 精神衛生を保つために必要な3つの安全対策について
私なりに考えてみました。

世間とは


私が恐れている世間とは一体何のことでしょう?手元の辞書にはこうあります。
【世間】自分と共に世界を形作る、一般の人びと。〔仏教用語としては、人間社会の意〕
(新明解国語辞典より)
つまり、「世間の目が怖い」=「一般の人々の目が怖い」と言い換えられます。

「一般の人々」というのは、
  • 実社会で働く普通の人々
  • 問題に関係していない人々
知り合いや顔見知りはもちろん、知らない人も含まれます。そして、その「一般の人々」のまとまりが「世間」。

ちょっとわかりにくいので、具体例を挙げてみます。
  • ご近所さん
  • 親戚
  • 学校・会社の知人(それほど親しくない人)
  • ネット上に書き込みをしている人  など
これらの人々に共通するのは、私の事情を知らないことです。私がうつ病で療養していること、仕事がしたくてもできないことなど。

こういった人たちに「自分は何て思われているんだろう」と考えたら……?

不安になりますよね。

「○○さん、仕事辞めたんだって」
「ずっと家に引きこもってるらしいわよ」
「いい歳して、親のすねかじって甘えてる」

そんな目で見られていると想像しただけで、心が折れそうです。不特定多数の集団心理、無言の圧力は強大な負のパワーを発します。

世間など所詮、空想だ


先ほど具体例として「顔見知り」程度の人たちの集まりを挙げたのですが、こんな考え方もあります。

(それは世間が、ゆるさない)

(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)

(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)

(世間じゃない。あなたでしょう?)

(いまに世間から葬られる)

(世間じゃない。葬るのは、あなたでしょう?)

(太宰治 『人間失格』より)
これは、主人公の大庭葉蔵が自分の中でめぐらせた考えです。そして、彼は「世間とは個人じゃないか」という思いを持つようになります。

彼の考えるように、「世間=個人」とするならば、私が恐れる「世間の声」は、実は自分自身が作り出した幻影なのかもしれません。

もちろん、実際に周囲の人から「働かないとダメ」とか「それはただの甘え」とか心無い言葉を投げつけられたことがトラウマで、世間に怯えてる場合もあると思います。

でも、「世間の目が怖い」と考えている人の中には、自分で自分の首を絞めて苦しんでいる人も多くいる気がします。

実際には、誰も何も言っていないのに、あたかも「働かないとダメ」「それはただの甘え」などと責められるかのように思い込んでしまう。まさに先の言葉がそう。

「○○さん、仕事辞めたんだって」
「ずっと家に引きこもってるらしいわよ」
「いい歳して、親のすねかじって甘えてる」

これはすべて私の想像です。誰かに直接言われたわけではありません。それにも関わらず「絶対そう思うに決まってる」と確信し、深く悩んでいました。被害妄想ってやつですね。考えすぎ。

世間の目からあなたを守る3つの安全対策


世間の声は無責任なものです。的を射る答えもありますが、人ごとであるがゆえに心無い言葉で人を傷付けることもあります。

それらの攻撃から身を守るために、私なりの3つの具体策をご提案いたします。

世間の目からあなたを守る3つの安全対策
  • すべての情報を断絶する
  • 自分の世界に浸る
  • ひたすら眠る
世間の声は、ゴシップのようなもの。根拠や信憑性なんて関係ナシ。ですから、それらの言動を間に受ける必要はありません。

多くの人は、自分のことで精一杯。「あんたのことなんてどうでもいい」。だから、人が傷付いていることなんて考えもしない人もいます。無意識に軽はずみな言動に出たり、自分の考えを一方的に押し付けたりすることもあるかもしれません。

そういった言葉は華麗にスルーしましょう。真に受けても良いことはありませんものね。

最後に


自分勝手でマイペースな人は他人の意見にとらわれることが少ないように感じます。自由にのびのび生きるためには、いわゆる「鈍感力」が必要なのでしょうね。

だからといって、今の自分が悪いわけではありません。世間の目を気にするのは、相手を尊重しようという意識があるから。それは、思いやりの心を持っている証拠。

うつ病を治すため、必要なことは休養。今はまず、ゆっくり休んで回復を待ちましょう。



<本日の一冊>
太宰治 (1949) 『人間失格』 筑摩書房