生きる意味とは何か?
うつ病と診断され、「死にたい」と思うようになってから、私はずっとその答えを探しています。その中で、ヒントとなるさまざまな作品に出会いました。
それでも答えが出たわけではありません。きっとこれからもずっと考え続けるんだろうなぁと思います。
今日は、「生きる」とはどういうことなのか、現時点での私なりの考えを書いてみます。
理由はない
まず、自分の存在理由について考えさせられた言葉。マンガ『ブリーチ』22巻の最初につづられた詩です。
我等の世界に意味など無く
そこに生きる我等にも 意味など無い
無意味な我等は 世界を想う
そこに意味は無いと知ることにすら
意味など無いというのに
虚無感がただよう無の世界。
世界に意味はない。
そこに生きる人間に意味はない。
世界を想うことにも意味はない。
「意味はない」と知ることにも意味はない。
「なぜ?」「どうして?」は無意味。私たちは、ただただ存在しているだけ。それがすべての答えです。
生きるために生きている
無意味な私たちは「なぜ生きてゆくのか?」。そんな想いをのせた歌があります。
中島みゆきさんの「糸」です。
まず、こんな疑問。
こんな糸が なんになるのそして、その答えとなる言葉。
縦の糸はあなた 横の糸は私また、こうも言っています。
織りなす布は いつか誰かを
暖めうるかもしれない
織りなす布は いつか誰かの
傷をかばうかもしれない
織物ができるまでには、気の遠くなるような作業・工程があります。ゴールが見えなくて、「こんなん意味あんの?」と思えてくる。それでもコツコツと作業を繰り返します。そして、それが形になったときに初めてわかる。その糸の役割がなんだったのか。
これを、先ほどの『ブリーチ』の言葉に当てはめると、誰かの傷をかばい暖めることさえも無意味。それでも、心は反応します。人を守る喜びや、感謝されて嬉しく思う気持ち。私たちにできるのは、その気持ちをあるがままに受け入れることのみ。
その時々に湧き上がる気持ち。
「うれしい」
「むかつく」
「かなしい」
「たのしい」
この心の反応は何のため? ――生きるため。
生きる意味とは?
その答えを強いて表現するならば、「生きるために生きている」。それ以上の意味はありません。何だか禅問答みたいですね。
ままよ
感情を本能的な欲求と同じレベルで考えたらどうでしょう?
「お腹すいた」「のど渇いた」
「疲れた」「休みたい」
「おしっこしたい」「うんこしたい」
これらの欲求は何? ――身体の調子を整えるためのサイン。このサインは生きるために発せられます。
ということは、感情も生きるために必要なサインだと言えますね。そのサインを素直に受け取る。
うれしかったら、喜べばいい。
腹が立ったら、怒ればいい。
かなしかったら、泣けばいい。
楽しかったら、笑えばいい。
ただ、それだけ。
誰に何と言われようと関係ありません。だってその人の言葉も無意味だから。感情や欲求に理屈はいりません。「人を好きになるのに理由なんていらない」なんてセリフもありますね。そういうことです。
まとめ:自由に生きましょ
意味はないけど、どうせ生きるなら気持ち良く過ごしたい。だから人は「生きがい」や「己の使命」を探すのでしょうね。
自分なりの生きる意味を見つけることで、前向きに進めたらいいですよね。
でも、それ以外にも魅力的な生き方はあると私は思います。何も求めず、ただ、その一瞬一瞬を感じ取る。目で、耳で、鼻で。さわって、舐めて、噛んで。そうやって世界の存在、そして自分の呼吸を味わいながら暮らしていくのが私の望みです。
<本日の一冊>
久保帯人 『BLEACH 22』 集英社
<本日のBGM>
中島みゆき 「糸」
コメント
コメント一覧 (6)
いきなりで大変申し訳ないのですが、相談させてください。
「転院」についてです。心療内科に通って約7年になり、
薬も飲んでいます。回復に向かってはいるものの、
回復の階段がなかなか昇れないように感じています。
「もう一段上がれば楽になるだろうに」と毎日感じている次第です。
ブログを読ませて頂いて、これまでの通院生活を振り返ると
転院したほうがいいのか、それともこのままで良いのか踏ん切りがつきません。
先生との相性は決して良いとは感じていませんが、これまで費やした時間を
考えて、「今の先生と最後まで心中する覚悟」も過去にしたこともあり、
非常に迷っています。自分の中では7割はこのままで行こうかなとも思うし、
だけど残りの3割を大きく感じてしまってます。
良かったらナミさんのご意見を聞かせてください。
コメントありがとうございます。
通院期間が7年とのこと。長い間つらい思いをされてきたんですね。回復への兆候を感じながらも、あと一歩足りない。そんな状況はじれったくて、モチベーションを維持するだけで疲れてしまいますよね。
さて、転院についてですね。以前こんな記事を書きました。
>>【体験談】主治医の先生がどうしても苦手です……
http://blog.livedoor.jp/pine39book14house-chaos/archives/25232270.html
ぼんさんが今の治療環境に疑問を感じていらっしゃるならば、転院を考えてもいいかもしれません。また、セカンドオピニオンを求めると、今の主治医の診断・治療方針に関して、別の医師の意見を聞くことができます。その意見や判断は今後の治療法を選ぶ際、参考になると思います。
>転院したほうがいいのか、それともこのままで良いのか
このぼんさんの問いにズバリお答えすることは難しいのですが、「転院するのが良いかなぁ?」というのが私の意見です。その理由は、ぼんさんと先生との相性が良いとは言えないこと。そして、これまで費やした時間、「今の先生と最後まで心中する覚悟」が今の治療を続ける根拠になっていることです。もし、現在の治療が適切ではなかったら(あくまでも仮定です)、今後同じ治療を続けても回復は望めません。
しかしながら、転院先の先生がぼんさんと相性の良い方である保証もありません。これらのことを総合的にお考えの上、ご判断いただければと思います。
専門的な回答はできませんが、お話を聞くことならできますので、いつでもまたいらしてくださいね。どうぞお大事に。
二回目の登場です(笑)
私も『生きる意味』について、かなり悩みました。
希死念慮はなくなっても、生きる意味•生きる希望を見出せなく生活してました。
そして最近、ようやくその答えが少し分かってきました。
私の中で出した結論は『本当の意味での喜怒哀楽』でした。
何が面白いのか?何が楽しいのか?と考える日々。
笑う訓練をしたり、楽しもうと考えるのではなく、自然に思えるようになった時に気づいたら『もう少し生きてみてもいいのかな?』と思えるようになり、それが生きている意味なのかと。
もちろん誰もがそうなれたらと願い、いろんな努力をし、生きる事を踏ん張ってると思います。
私もそうだったから。
だからこそ、人それぞれタイミングは違えど、きっとそんなタイミングが瞬間がくる事を日々願ってます。
ナミさんの文を読んで、すごく揺れています。
怖いのが、転院をして悪くなってしまうことです。
そう思ってしまうので、悩んでいます。
もっと早く悩めばよかったのかなとも思います。
これまでの通院生活をあまり振り返りたくもないのが本音かな。
後悔ばかりしか残っていないので。
決断を下せるほどしっかりと悩まないといけないのに、
それを避けている自分を感じます。
決断にはもう少し時間がかかりそうです。
ナミさんのブログをこれからも拝見させていただくので、
今後もちょくちょく相談させてください。
宜しくお願い致します。
ご来訪&コメントありがとうございます。
なるほど。凛さんのおっしゃるように、『本当の意味での喜怒哀楽』を感じられる人生は素敵です。自然に芽生える感情が生きる上で大きな意味を持つんですね。大切にしたいです。
こうして人のしあわせを願う凛さんの優しい心。これは、たくさんの苦しみを乗り越えてらっしゃったからこその心強いお言葉だと思います。
凛さんの哲学、またお教えいただけたら嬉しいです。
あー、余計に悩ませちゃいました? ごめんなさい。
私の場合、転院して良い方向に結びついた経験があるので、転院については肯定派なんです。でも、ぼんさんがおっしゃるように、「転院して悪くなるかもしれない」という不安もよくわかります。難しいですね。
今、無理に決断なさらなくてもいいのかな?とも思います。転院という選択肢があると知っているだけでも違います。「もうこれ以上耐えられない!」という思いが強くなったときに検討するのも一つです。
あまり固く考えず、「ちょっと違う病院試してみようかな~」くらいの軽さがあってもいいかもしれませんね。これは私が今目指している心の持ち方です。
私で良ければ、いつでもお話聞かせてください。ぼんさんの心と身体が少しでも軽くなりますように。